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建築/音楽/アジア


by baybranch
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金沢21世紀美術館でクラヴィコード 9月1日

久しぶりに金沢へ出かけて、クラヴィコードの演奏を聴いてきた。
大井浩明氏によるバッハ・平均律の第2巻。非常に面白い体験だった。金沢21世紀美術館でクラヴィコード 9月1日_d0009494_2305423.jpg



昨年、だったか(?)第1巻の演奏を東京で聴いている。が、ステージが高く見上げて聴いていたせいか、大井氏が言うように楽器のせいか、音が小さいことに驚き、それに耳を傾けることにせいいっぱいで、音楽を楽しむ余裕がなかったような気がする。
そう感じたのも、先日の演奏では楽器を下に客席が壇上になっていて見下げて聴いたせいか、小さい音に変わりはないが、耳が慣れてくると音のニュアンスが良く聴こえてきて、音楽を楽しむことができたため。とても楽しめた演奏会だった。
クラヴィコードはチェンバロとは全く似て非なる楽器だということが本当によく分かった。時にはピアノの演奏を聴いているような感覚を感じることもできる。現代のピアノとはもちろん大きく違うが、少なくともフォルテピアノとは近い気がした。それにしても、音のニュアンスは異なる。独特の音、やみつきになりそうな、また聴きたいと思わせる音だ。
このビミョーなニュアンスを出すのは本当に難しいのではないか。音のニュアンスを感じバッハのこの曲集を聴いていると、曲の面白さを強く感じることができた。グールドの演奏を思い出す・・・と書くのはありがちで、あまりそう表現したくはないが、チェンバロでこの曲を弾いたときの物足りなさをグールドは感じていたのかもしれないと思った。それでクラヴィコードを調べ、“クラヴィコード風”にピアノで弾くことを選択した、、のだとしたら面白いのだけれど。
バッハは、こういう面白い音楽を書いていたのだ、と強く感じる。バッハを、硬く、辛気臭いものに感じさせていたのは実は楽器のせい?昨年大井氏が付けていたタイトル「カツラを脱いだバッハ」は今回使われていないが、それを実感した。
小さい音のために客席の雑音はとても気になるのだが、咳払いは意外に気にならず、紙をくしゃくしゃする音、床を靴で擦る音などが、周波数のせいか耳をマスクして、クラヴィコードの音を邪魔すると感じた。自分のお腹の音、唾を飲み込む音が、周りにどう聞こえていたのかはわからない。
翌日帰宅してから、もしやと思って同じ曲のチェンバロでの演奏CDを聴いてみたが、やはり非常につまらなく感じてしまった。いいものを知ってしまうと、それまで満足していたものが物足りなくなってしまって、ある意味もったいない気もする。
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こういう演奏会を珠洲でも開くことができるだろうか。サロンコンサート用の部屋はあるので、ぜひやってもらいたいと思うけれど、どうかなー
by baybranch | 2006-09-03 23:04 | 音楽